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論説 : 脱北帰国者の日本受け入れのために
投稿者: MIURA 投稿日時: 2006-9-26 21:49:57 (2287 ヒット)
論説

脱北帰国者の日本受け入れのために
三浦小太郎

(本稿は、雑誌「諸君」に掲載された原稿を元にしたものです)

6月16日、「北朝鮮人権法」(正式には「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律案」)が参院本会議で自民、民主、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。

法案は、拉致問題解決を「国の責務」とし、日本人拉致被害者の帰国実現に最大限の努力をすることを明記し、同時に第6条にて「政府は北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民、脱北者その他北朝鮮当局による人権侵害の被害者に対する適切な施策を講ずるため、外国政府又は国際機関との情報交換、国際捜査共助その他国際的な連携の強化に努めるとともに、これらの者に対する支援等の活動を行う国内外の民間団体との密接な連携の確保に努めるものとする」と定め、続いて「2、政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。」「3、政府は、第一項に定める民間団体に対し、必要に応じ情報の提供、財政上の配慮その他の支援を行うよう努めるものとする。」と、脱北者保護と財政上の支援を含んでいる。
 私はこの法案の成立を心から歓迎すると共に、今後議論になるであろう脱北者日本受け入れ問題について、具体的提言と、受け入れの原則について論じたい。

日本が受け入れるのは、脱北者ではなく脱北帰国者

最初に、個人的な想い出を書いておきたい。96年秋、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会が招請した、鄭箕海氏(「帰国船」文春文庫著者)の講演会をお手伝いさせていただいた時の事だ。

鄭氏は40数年ぶりにこの日本の地を踏んだことに感慨無量のようだった。そして、東京の地下鉄に乗った時に、乗客を眺めてしみじみと、丁寧な日本語で語り始めた。

「三浦さん、やっぱり日本はいいですねえ。」
「そうですか。着いたばかりですけど、懐かしいですか?」
「御覧なさい」鄭氏は地下鉄の乗客を見渡して言った。「女性が、皆きちんとした服装をしているでしょう。三浦さん、信じられますか?韓国では若い娘が、平気で肌を晒して歩いているんですよ。」


「いや、今たまたま秋だからで、日本でもそうですよ」と、本当ならば私は答えるべきだったのだが、つい思わず「そうなんですか」と間の抜けた返事をしてしまった。鄭氏はさらに「もっと信じられない事を言いましょうか?韓国ではね、女性が平気で酒場で働いたり、女だけで飲みに行くんですよ。」と付け加えた。信じられるも何も、日本は韓国に先んじてそんなことは行われている。対応に困る私の前で、鄭氏は日本を懐かしむ言葉を繰り返し、自分は出来ることなら日本に住みたいと呟いた。

私はこの時初めて、北朝鮮帰国者の本当の故郷は、日本なのだという思いに駆られた。それも、現在の日本ではない。この方々が日本を離れた、60年代初頭の日本だ。今や鄭氏もこの世の人ではない。私が今も心に残るのは、あの時の鄭氏の言葉と感無量の表情である。

さて、現時点(2006年6月)日本には、100名を超える脱北者が入国、定住している。そして彼らは、脱北者ではなく、正確には「脱北帰国者」「日本人妻」とその家族である。北朝鮮生まれの難民である脱北者は、勿論保護されるべき難民ではあるが、日本受け入れの対象ではない。

1959年からの北朝鮮帰国事業は、9万3千人もの帰国者と日本人配偶者を、「凍土の収容所共和国」北朝鮮に送りこんだ。本人の自発的意思があったにせよ、彼らは朝鮮総連の虚偽宣伝の被害者であり、しかも、当時両親に導かれて北朝鮮に渡った子供にまで「自己責任」を問うのは余りにも酷だ。現在、日本国が受け入れているのは、元帰国者ならびに日本人妻とその家族なのだ。

現在日本が直面しているのは、約50年を経た「帰国事業の歴史的総括」である。

脱北帰国者受け入れの経緯

今回の北朝鮮人権法制定は一朝一夕に成立したものではない。まず、北朝鮮で配給制度が停止し、大量難民が中国に流出し始めたのは96年ごろからであり、脱北帰国者が日本に入国した最も初期の事例は、宮崎俊輔氏(「北朝鮮大脱出」著者)のケースだ。彼は1998年脱北、瀋陽領事館に保護され、日本に入国した。そして、当時から脱北帰国者救援に取り組んできたのが、北朝鮮難民救援基金であり、この団体の力によって、多くの脱北帰国者が日本入国を果たした。

そして、脱北者の問題が大きくクローズアップされたのは、2002年5月8日、瀋陽日本領事館への脱北者、金・ハンミ一家の駆け込みと、それを妨害する中国警察との映像が世界に駆け巡ったことだ。この映像は今現在も、中国側の無慈悲な姿勢と脱北者の勇気を伝え続けている。

2002年9月17日の日朝首脳会談は日本中に衝撃を走らせたが、10月30日、中国で北朝鮮難民救援基金の加藤博事務局長が不当逮捕されるという事件が起きる。同氏は11月6日釈放されたが、これ以降、日本国会でも脱北者問題への様々な問題提起がなされるようになる。

2002年年12月から2003年1月まで、民主党中川正春議員、中村哲治議員は、川口順子外務大臣(当時)に数回にわたって脱北者問題について質問を行った。その一部を引用する。

中村哲治議員「元在日朝鮮人(脱北帰国者:三浦注)についてはどのような保護の体制をとるつもりか、また取ってきたのか、教えてください。」
川口外務大臣「一般論では、外国人がわが国の在外公館に庇護を求めてきた場合には、個々の事案について事案について具体的に事情を検討したうえで判断するということです。在日朝鮮人については、外国人ですが、その中には特別永住者として日本に永住可能な、一般の外国人とは異なる法的な地位を持っている人もいるので、そうした点を考慮して具体的に対応をするという考え方です。」(2003年1月27日 第156国会 予算委員会第5号)


この発言で、川口外務大臣は政府答弁として、脱北帰国者の日本受け入れを事実上認めた。現在脱北帰国者支援機構代表で、元東京入管局長の坂中英徳氏は、「脱北帰国者支援は私の使命」(脱北帰国者支援機構発行)にて、受け入れの法的根拠について次のように述べている。

「脱北帰国者のうち、日本国籍を持っている人は、権利として帰国(入国)できますので、日本への入国に何ら問題はありません。元在日朝鮮人は、在日朝鮮人の子・孫として日本あるいは北朝鮮で生まれた人たちですから、日本の入管法では「定住者」という在留資格に該当しますので、日本への入国が認められます。それから日本人の子として生まれた外国人や日本人の配偶者の場合、「日本人の配偶者等」という在留資格に該当しますので、日本への入国が認められます。」


2003年3月には、韓国から10数名の脱北帰国者が来日、国会議員や各政党に救援を訴えた。同年8月7日には山田文明氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表)他3名の韓国人救援者、12月には北朝鮮難民救援基金の野口孝行氏が、共に脱北者救援中逮捕される。

脱北者問題に早くから取り組んできた民主党は、中川正春議員、渡辺周議員他を中心に、2005年2月25日、北朝鮮人権侵害救済法案を国会に提出。同3月には、日本に在住する脱北帰国者、日本人妻達が、公開の場に姿を現し、脱北帰国者の保護を含む北朝鮮人権法の制定を求めた(3月19日大阪、20日東京)。彼らは28日には安部晋三幹事長代理(当時)に面会、安倍氏は、自民党も北朝鮮人権法案成立のために努力する意志を表明した(3月20日統一日報記事等)。 

そしてこの6月、北朝鮮の人権問題、拉致問題に取り組む6団体(救う会全国協議会、拉致被害者家族会、特定失踪者問題調査会、法律家の会、北朝鮮難民救援基金、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)により、拉致問題解決のための経済制裁と共に、脱北帰国者の保護、日本受け入れ、生活支援などを求める合同要望書が発表された。この法案の成立は、以上のような、日本政府、外務省、そしてNGOによる長い試行錯誤の歴史の中で形作られたものである。

この法案に反対した日本共産党や社会民主党は、この法案は内政干渉(脱北者の救援が内政干渉?)である、排外主義である(??)審議が足りないなどと述べている。しかし、北朝鮮人権法制定、脱北帰国者の受け入れは、様々な団体や個人によって以前から訴えられてきた問題である。社民党、共産党がこの問題に関し、充分な関心を払ってこなかった事は、両党が人権擁護や難民救援の立場に立つのならば、誠に残念なことと言わざるを得ない。

脱北帰国者の受け入れ・日本定着を具体的に実行するために(1)
瀋陽領事館を初めとする在中日本領事館の機能強化

先述したように、脱北帰国者の中心は、帰国時に10代かそれ以下で、在日朝鮮人、または日本人妻の子供として北朝鮮に渡っていった人々である。彼らが脱北し、何らかの手段で日本外務省などに連絡を取ることが出来れば、まず実際に帰国者であるかどうかの調査がなされ、帰国者もしくはその家族である事が確認されれば、原則的に瀋陽領事館など在中日本領事館での保護が行われる。それ以降、本人が確実に帰国者であること、日本に行く意志があることが再確認された後、中国政府に対し出国許可を人道的に求めることになる。

しかし、中国では脱北帰国者はいつ強制送還されるかもしれない危険に晒されている。瀋陽領事館を初めとする在中日本領事館、もしくは領事館関連の施設が、出来るだけ速やかに脱北帰国者を保護しなければ、長期間の潜伏は当事者にも支援者にも負担も危険も大きい。保護過程をスムーズに、かつ効果的に行うために、領事館の機能強化がどうしても必要である。私はそのために以下の3点を提起したい。

(1) 脱北帰国者の身元調査並びに、親子関係の確認等

脱北帰国者、もしくはその子孫が領事館に保護された後、さらに詳しい身元調査が必要となる。脱北者受け入れに反対する人の中には、帰国者を偽って工作員が潜入することや、また帰国者でもない北朝鮮難民が、帰国者を名乗って紛れ込む可能性を危惧する方もいる。しかし、これらを防止するには領事館の機能を強化することで充分防波堤が築けるはずだ。

基本的には、このような「偽装脱北帰国者」は殆ど困難である。まず、北朝鮮に帰国した年月、帰国船の号数などを確認し、日本での生誕地、学歴などを細かく確認していく。日本側にも、帰国船と乗客の名簿、また当時の戸籍などが存在するのだから、それと綿密に照らし合わせ、北朝鮮での生活、現在北朝鮮に残っている親族、また日本の親族との交流などを詳しく聞いてゆく過程で、偽装している場合は矛盾が現れてくる。

また、帰国者の北朝鮮における社会的地位を考えてみれば、彼らが直接工作員として日本に脱北者を装って送り込まれる可能性は極めて少ない。帰国者は徹底した身分制度の国である北朝鮮では敵対階層の下部に位置し、北朝鮮国家の工作活動などに従事する可能性は極めて低い。そして、帰国者は潜在的なスパイとして北朝鮮政府からは敵視され、70年代には帰国者が大量に収容所に送られた。工作員活動を行わせるほど、北朝鮮政府が彼らを信用することはありえない。いずれにせよ、瀋陽領事館において徹底的な身元調査を行うことは朝鮮語に堪能で帰国者問題にも一定の知識のある捜査関係者を常駐させれば充分可能である。

ここで問題なのは、日本に生まれた脱北帰国者には、日本に戸籍や登録が残るが、その子供は北朝鮮で生まれた場合、当然出生証明書も、結婚証明書もなく、親子関係も書類上は確認できない。偽装脱北帰国者を排除する為にも、親子関係、親族関係が確実に証明された後に、日本に脱北帰国者とその家族として受け入れるという原則を踏まえるべきであり、そのためには領事館で口腔粘膜などのDNAを採集し、日本国に持ち帰って鑑定を行うのが最も確実な手段である。このような科学的な最終的な親子確認、親族確認は、領事館か、せめて日本入国直後に、身元検査の一環として、公的機関で行われるべきものではないか。

(2) 日本定住に対する教育・指導

先述したように、現在は救援団体が現地で救援活動を行わずとも、脱北帰国者の保護は可能な場合も多い。また、全く救援団体と関わることなく、独自の力で日本入国を果たすケースもある。しかし、これが実は新たな問題を産んでいる。

脱北帰国者の多くは、日本に対し、過剰な期待を抱いている場合が多い。北朝鮮国内でも、帰国者は日本からの訪問団や仕送りを通じて、日本国の豊かさはよく知っている。日本に行けば、労働のチャンスもあり、自分達も親族等から支援を受けられると考えたとしても責められないだろう。

救援団体が脱北帰国者を日本に導いていた時期は、途中何度も「日本に来ても決して楽な生活は出来ない、厳しい仕事に耐えなければならない。韓国なら少なくとも定着金も受け入れ態勢もある。それでも日本を選ぶ強い意志はありますか?」と確認し、日本の実情を理解させていた。そのため、日本入国後の定着も比較的スムーズに行った傾向がある。

現在も、領事館内では領事館員が、丁寧な説明をしていると聞く。しかし、現実には、脱北帰国者は領事館で数ヶ月を過ごしても、未だ日本に対してある種の幻想を抱き続けている場合が多い。このギャップを出来るだけ埋め、日本でどのような生活が待っているかを覚悟させる事が、領事館での最初の必要な教育なのだ。

私は領事館に、脱北帰国者の定着に努力しているNGO,もしくは現在日本に在住している脱北帰国者自身を、短期間であれ招請し、彼ら自身による定着のための教育を行う事を提起したい。実際の脱北帰国者からの話は彼らに説得力を持って受け入れられるかも知れず、また、NGOの側も、彼らを日本で迎える準備をすることも出来るはずだ。

(3) 領事館からの出国の迅速化を、日本政府は中国政府に対し要請すべきである

領事館に保護された後は、中国政府の出国許可を得て脱北帰国者は日本に向う。しかし、この間が余りにも長期にわたる傾向が見られる。

日本側も、中国側も、一定の身元調査や、健康状態等々の検査が必要なことは理解する。しかし、最近は特に長期間の領事館滞在を脱北帰国者が強いられ、ある例では4,5ヶ月以上にも及んでいる。中国政府が出国許可を出さない事が主たる原因であり、日本政府は、人道的見地から、領事館内の脱北帰国者を、調査が済み次第速やかに出国させるよう、中国政府に訴えるべきである。

以上が、瀋陽領事館に関する具体的な機能強化の提言である。いずれも、領事館に更なる人員と、専門家の配置が前提となるが、ある意味、領事館を日本入国以前の一種の調査・教育機関として自立させるだけの重要性が今生まれていることは疑いを得ないと思われる。

脱北帰国者の受け入れ・日本定着を具体的に実行するために(2)
生活保護の期間限定と日本版ハナ院の構築

脱北帰国者は、中国を出国後は日本に「再帰国」する。40数年ぶりに踏む日本の地である。しかし、彼らには財産も、勿論定職もない。仮に日本に帰国者としての親族がいたとしても、一部の例外を除いてその多くは、最早支援する力も意志も薄いのが現状である。

従来韓国民団の脱北者支援センターが、一時的な定着金として一人当たり10万円の支援を行い、仕事や住居についてもアドバイスしていた。私は支援センターのこれまでの努力、特に実務担当者だった金哲三氏の献身的な尽力には敬意を払うが、センターは、先の朝鮮総連と民団の和解の後、事実上の活動停止状態になっている。しかし、私個人は、この事をそれほど否定的には捉えていない。本来、この様な援助や定着支援は、日本政府が責任を持つべきことだったのだ。

まず、日本政府は無策なわけではない。脱北帰国者は入国以後、臨時の住所が確定すれば、比較的スムーズに生活保護が与えられる。だが、生活保護は、本来、高齢者、障害者を除けば、一時的に生活を維持し、再就職、自立を目指すための制度だ。しかし、この様な福祉には、しばしば甘えてしまうのが人間の弱さである。

私は生活保護の受給については賛成だが、あくまで期間限定の処置である事を明確にするべきだと思う。一案として、50歳代以下の脱北帰国者に関しては、この生活保護受給は、1年間、もしくは1年半とする。ただし、ここには一つの条件がある。同時に、日本政府が脱北帰国者に公的に提供すべきものが、日本語教育並びに就職支援・職業訓練の施設と機会である。現在、韓国は脱北者を韓国入国後、数ヶ月間、ハナ院という施設に収容し、そこで様々な生活指導や職業訓練を行っているが、日本も、かってベトナム難民に同様の教育を行った品川の収容施設などを再利用し、日本版のハナ院を形成、そこで脱北帰国者に様々な教育と訓練を行うのが、定着の為に最も重要な処置だ。そして、これまで脱北帰国者の定着支援を行ってきたNGOや諸個人は、その施設に協力することで自らの経験を有効に活用できるはずだ。

脱北帰国者の日本語能力はさまざまだ。日本で10代後半までを過ごした方は、日本語会話も読解のレベルも通常の日本人と変わらない。10歳前半以下で帰国した人は、喋ることはできても漢字が読めない人が多く、就職にも日常活動に不便が生じる。また、帰国者の子供として北朝鮮で生まれた人々には、初歩からの日本語教育が必要となる。

語学習得は独学では難しい。日本語学校に通うには、生活保護の段階では金銭的に困難である。日本語学習、さらには職業訓練や就職支援は、ハナ院的な施設にて、将来の自立のためにも彼らに提供されるべきではないだろうか。その様な処置なくして、単に一定期間で生活保護が打ち切られるようでは、最悪の場合はホームレスを生み出すことになりかねない。

そして、脱北帰国者の日本定着のために忘れてはならないのは、脱北帰国者の共通の苦悩である、北朝鮮に残してきた家族への想いである。脱北帰国者の多くは、北朝鮮に残してきた家族への不安と、支援をしたいという切実な願いを持つ。そして、北朝鮮に残された家族を「人質」に使われ、北朝鮮に再び戻る道を選んでしまったのが、日本人妻、平島筆子さんの事例だ。

平島さんは1959年12月14日、在日朝鮮人の夫と北朝鮮へ渡り、2002年11月脱北、2003年1月29日、日本に帰国した。平島さんは帰国後、平沢勝栄衆議院議員が身分を保護、生活保護などの手当ては受けることが出来た。しかし、平島さんは北朝鮮に残してきた子供2人と孫の事が常に心に掛けていた。

2004年5月、北朝鮮に残された長男死去の連絡が届く。この時期から北朝鮮からしばしば平島さんの自宅に電話があり、北朝鮮からの親族の呼びかけは、平島さんに、孤独感と家族再会への思いを強めた。

2005年4月4日、平沢勝栄事務所を訪ねた平島さんは、中国行きの航空券の購入を秘書に「長男の嫁が(北朝鮮から)出てくる」からと依頼、秘書は航空券を手配して渡した。しかし、平島さんは、18日、北京の北朝鮮大使館に現れ、「日本にいる間、一日も共和国(北朝鮮)のことを忘れたことはない。衣食が満たされ、楽に生活できてもそれが幸福のすべてでない。子供や孫に会いたいとの気持ちが日ごと強まり、涙を流しながら暮らしてきた」と語り、北朝鮮への帰国を選んだ。この事件が、脱北者を巡る様々な問題点を提起したことは確かだ。

平島さんに決定的に欠けていたのは、精神的なケアである。家族に再会したいと言う思いを、周囲の支援者が理解し、辛さを分かち合う事が必要だった。平島さんが支援者に「皆さんに感謝はしている、しかし、息子や孫に会うためだけでも、あの国に帰りたい」と素直に語り、支援者が彼女の思いを共有できるような信頼関係があれば、このような事態に至ることはおそらく無かった。しかし、現実に仕事や日常生活を持ちながら、支援活動をしている団体、個人にそこまで要請することは酷である。このような精神的ケアこそ、難民救援の深い経験や精神的なカウンセリング技術を有した専門家を、国家が制度として「日本版ハナ院」に配置していくべきなのだ。

「脱北帰国者」への先入観を捨てること

ここで、多くの方が誤解しやすい「脱北帰国者」のイメージに修正を加えておきたい。

まず、「脱北帰国者は北朝鮮で餓死寸前の危機から逃れてきた」というのは事実とは違う。北朝鮮で本当に餓死寸前の人は、脱北する力もなく死を迎える。脱北帰国者は、北朝鮮国内ではまだ比較的力のあった人々のケースが多い。また、仕送りがあった時期は、それなりに裕福な生活を北朝鮮で過ごしてきた場合もあり、一概に「飢餓難民」と見なしては誤解を生む。

また、脱北帰国者は、朝鮮半島で激しい反日教育を受けたことによって、反日的な思想や知識を埋め込まれていると思う人もいるが、これも殆どの場合事実と異なる。10代で帰国した脱北帰国者たちは、北朝鮮の小中学校に編入されたが、ある人は当時の違和感をこう語っている。

「歴史の授業はいやな思い出が多い。日本植民地の時代、日本人がどんなに沢山の朝鮮人民を殺したとか、そういう話ばかりを毎日聴かされて、帰国者には本当に苦痛だった。日本人はもう一生の敵だと教えられたが、私は日本にいる時に友人もいたし、日本人がそんなに悪い人とは思えない。なぜここまで悪く言われるんだろうと思って、いたたまれずに辛くて頭を抱えながら聴いていた」


日本の実情を知る帰国者は、無意識のうちに、北朝鮮の反日思想を受け入れる事を拒否してきたのだ。そして、帰国者たちは帰国者同士のコミュニティを創り、祝日は彼らだけで集い、日本式の料理を作り、日本の唄を歌い、日本を故郷として懐かしんできた。このコミュニティの中では、60年代初頭の日本の空気が保たれ、帰国者はその中で安らぎを得ていた。反日どころか、ひたすらに日本を懐かしんできたのがこの人々であり、仮に今日本社会への不満を述べたとしても、それは現代の日本社会が60年代のそれとは本質的に変わったからに他ならない。

そして、これは北朝鮮の密告体制・全体主義体制で生き延びるための道でもあった。北朝鮮では、日本を懐かしみ現在の北朝鮮社会への不満を述べただけで弾圧の対象となる。帰国者たちはそれを恐れ、北朝鮮民衆とは交わらなかった。そして、脱北帰国者の中には朝鮮民族や朝鮮半島そのものに対して、ある種の反発や嫌悪を抱いている人すら少なくない。

現在の制度上、日本人妻やその子孫でない限り、脱北帰国者は国籍としては無国籍、もしくは朝鮮籍という扱いになるが、彼らの多くは「朝鮮」と言う単語が自らの身分証明書にあるだけで不快感を露にし、日本国籍取得を切に求める。帰国事業の犯罪性を自らの体験で知った脱北帰国者にとって、朝鮮半島からの離脱と、日本国への帰属こそが根源的な要求なのだ。彼らの切実な声に、日本政府は耳を傾けてほしい。日本国籍を自分の40数年の苦しい人生の結論として求めている脱北帰国者に対し、何らかの特別法制度による国籍取得を認めることはできないのだろうか?

以上のような、領事館の機能強化、ハナ院の構築、国籍問題の解決などは、現行法の枠内での解決は難しい。本来、この脱北帰国者問題は、これまで日本が全く予想しなかった事態であり、彼らを対象とした新法を制定することによってのみ根本的に解決しうる。私は今回の北朝鮮人権法が、抽象的な人権論ではなく、実情を踏まえた具体的な法制度の整備に向う事を期待する。

「差異」の強調ではなく「普遍」への同化

脱北帰国者受け入れへの不安が根強いのは、各先進諸国国内にて、様々なマイノリティ集団が乱立し、集団間の対立、抗争が生まれている情況と無縁ではない。これが、脱北帰国者受け入れが、日本国内に、反日的なマイノリティ集団を形成することに繋がるという誤解を生むのだ。しかし、これまで述べてきたように、脱北帰国者は決してその様な存在ではない。

彼らは密告体制の中で生きてきたため、深い他者への不信感と心の傷を負っている。配給制度に慣れた生活習慣は、資本主義の労働概念には適応しにくく、就労、就学にも様々な困難が伴う。しかし、これらはいずれもNGOと行政・政府が、定着支援に連携して取り組めば解決可能だ。実例は挙げなかったが、就学、就職等で実績を上げつつある脱北帰国者は数多く存在する。

そして、私達は、この脱北帰国者受け入れについての思想的原則を打ち立てておく必要がある。「移民の運命」(藤原書店)で、移民、難民問題の原則を提示したエマニュエル・トッドは、60年代以降の「差異の権利」という概念が、逆に人種対立を招き、極右の台頭を招いた事を指摘する。先進諸国では、従来の国家主義や植民地主義への反省から、国内のマイノリテイや、移民、難民に「差異の権利」を認め、各集団の文化や生活様式を尊重する事が、豊かな共生社会を作り出すとする言説が席巻した時期があった。しかし、トッドはこの思考を「差異主義熱」と批判する。

「60年代以降、差異の賛美は多数派の反人種主義的言説の中に取り込まれてゆく。差異は一つの豊かさとして、肯定的に見られるようになる。しかし(中略)一つの文化に閉じこもった人間と言う理想は、普遍的人間の理想と矛盾することぐらい明らかなのだ。(略)差異の崇拝は、文化とその伝達についての血統的な、と言うことはすなわち人種的な考え方に行き着くことになる。論理的に言えば、本質的に異国人であるものへの愛とは、記号が逆になっただけで、モーラス式伝統のやはり本質的に異国人であるものへの憎しみに、極めて近い」(「移民の運命」)


戦前の右翼王党派で反ユダヤ主義者の大物作家シャルル・モーラスは、王制復活を政治目標とし、自由、平等、博愛と言った近代合理主義精神を否定、フランス社会に外国の文化、文明が侵入する事を忌避し、ユダヤ人に象徴される他民族は決してフランスに同化することはなく、また同化すべきでもないと主張した。これは単なる排外主義ではなく、異なった文化、文明を有する集団はそれぞれ独自の価値観を持った社会を築くべきであり、決して混在して文化を混乱させてはならないという、右翼思想の基本原則から来るものだった。

トッドはモーラス的な極右思想は、現在の「差異の崇拝」を唱える思考と本質的に同様なものと見做す。「差異の崇拝」は、移民、難民を、強制的に各自のコミュニテイに閉じ込め、彼らの社会に同化しようする意志を封じ込めてしまう。トッドは、日本では評判の悪い「同化」という言葉を肯定的に使い、移民、難民のフランス社会への同化を必然的なものとして提示すると共に、フランス国民に対しては「開かれた同化主義」を推奨する。「開かれた同化主義」とは、決して移民、難民をフランスの価値観に強引に従わせると言う意味ではない。文明間、文化間の「差異」を強調するのではなく、多数派も少数派も、「普遍的価値」を尊重し、その上で、移民、難民は、その定着社会の主要な習俗習慣を最低限受け入れることで、安定した社会的地位を築く、現実的な解決策のことだ。

そして、アメリカの黒人思想家シェルビー・スティールは、トッドに先駆けて80年代、各人種、民族の文化的差異を各集団が保持したままで共生の空間を作り出そうという「文化多元主義」が、アメリカの大学を支配した結果生まれた混迷を、同じく「差異の政治」と呼び批判した。

「差異の政治とは何か。これは、各集団が差異だけを使って、自己を正当化し、価値を求め、権力を追求しようとする政治を指す。」「差異の政治は大学に何をもたらすか。それは、全学生の少数民族化である。優位性の根拠として差異を強調すると、間接的にせよ、差異は敵を生む。そして、黒人であること(女性であることでもよいだろう)が権力になると、白人男性も自らの差異を使って、権力を手にして対抗するようになる」(「黒い憂鬱」五月書房)


スティールは、大学、ひいては社会内に差別や衝突がやまない原因の一つをここに見ている。彼はマイノリティを軽視しているのではない。真の意味で様々な価値観や文化が共生する社会の原則論を提示しているのだ。

「大学は、『多様性』や『多元主義』よりも、高次な『普遍性』を強調すべきだと考える。前者の二つの言葉は、差異の政治がもたらした用語に過ぎない。すなわち、明瞭に定義された普遍性を持たない差異は、民族的にも人種的にも、外部の人間にとって理解不能なだけではなく、敵対する存在である。なぜなら、本来、差異と言うものは、普遍性を補うべきものであるからだ。」(同書)


ここでスティールは、アメリカ黒人と言うマイノリティの立場から、文化多元主義を巡る最も優れた回答を提示している。今後、グローバリズムの進む中、あらゆる国家が、現代アメリカ社会が直面してきたものと同じ問題を突きつけられることになる。イスラム教を初めとする様々な宗教、異質な文化文明に根ざした人々と、私達は共生する社会を迎えねばならない。その時私達は、お互いの「差異」に囚われ、「差異」を尊重しあおうといった奇麗事で逆に対立と誤解を煽り、社会に無用な緊張や混乱をもたらすのではなく、普遍的価値観(政治的には自由、人権、民主主義などの価値)を明示し、各集団はあくまでその価値観を受け入れた上で、差異を認められるべきものである。

移民、難民問題の根本的な解決策がここにある。私達はこの原則に根ざし、この日本に帰国、定着を含め、日本への「同化」、正確に言えば、1960年代初頭の、日本がまだ地域・家族共同体を残していた時代への「回帰」を求めている脱北帰国者を、日本国民として迎えようではないか。

北朝鮮という、人間が人間として生きていくことができなかった国、しかも始終密告を恐れなければならなかった国で、それでも人間性を保ちながら生きてきた人々と出会う時、私達はしばしば人間性の輝かしい面を見る。同時に、北朝鮮での悲惨な体験のために、心が傷つき他者との交流ができなくなっている面もある。その両面が脱北帰国者には存在する。彼らと接する時は、深い感動と同時に、お互いがどうしても理解し合えない衝突や誤解が生じることもある。しかし、人間が人間と付き合うと言うことは、傷つけあう関係をも引き受けると言うことではないだろうか。

現代日本社会は、良かれ悪しかれ、そのような生々しい関係を忌避してきた。そのことは確かに人間関係を自由にし、私たちの社会を解放してきた。しかし、だからこそ私たちが脱北帰国者と出会うとき、逆に彼らから教えられることは多い。それは苛酷な人生を生き抜いてきた勇気と共に、かって日本にも存在した、家族共同体の価値や個々の人間関係の豊かさだ。そして、この脱北帰国者の受け入れと定着は、今後の日本社会を豊かな民族共生社会にしてゆく、トッドの言葉を借りれば「開かれた同化社会」に導く大きな試金石になることを私は確信している。

「開かれた同化社会」の原則は日本語習得

日本が、北朝鮮からの難民である脱北帰国者を受け入れ、民間のボランティアも連帯して定着に成功すれば、日本はこれまでヨーロッパもアメリカも充分成功しなかった、外国人受け入れのモデルを作ることも可能だ。これは日本が世界に対して行いうる、大きな平和的貢献である。

脱北帰国者とは、日本に生まれ、悲劇的な運命を北朝鮮で過ごし、命がけで再び日本に戻り、今は日本国民の一員になろうという意志を持った人たちである事を、私は何度でも強調したい。残酷な歴史を生きてきた彼らが、真の故郷として日本を目指している今、彼らを受け入れることに躊躇するようでは、余りにも日本国は非情である。そして、日本国が脱北帰国者を受け入れ、定着で実績を挙げる事は、北朝鮮独裁体制に風穴を開けることにも繋がるはずだ。

最後に、トッドやスティールが言う「普遍的価値」を、日本における現実的な受け入れ政策の基本として考えてみたい。私見では、日本が脱北帰国者のみならず、他民族を定住者として日本国に受け入れる時、私たちと彼らが最低限共有すべき普遍的価値観とは、「日本語」の学習と習得である。言い換えれば、日本語がある程度使いこなせれば、日本社会で生きていくために必要なルール、習慣、行動様式、人間関係の構築の仕方などは、必然的に身についていく。これは在日コリアンの1世から現在の3世、4世までの推移を見ても明らかなことだ。

日本語教育を、生活上、就職上必要であるだけの理由で私は重視しているのではない。日本語教育は、脱北帰国者が、日本でコリア系日本人といて生きていくための前提であり、極論を言えば、脱北帰国者にその学習と取得を「義務付ける」ことが日本側の受け入れの原則なのだ。

日本語の魅力や日本語学習の重要性は、日本国民の間でも再確認されつつある。これは、日本国が日本国であるための最低限の基盤とは、言語であることを物語っている。脱北帰国者の受け入れ、そして定着、ひいては日本国籍取得においても、この原則は有効なはずである。日本国籍を求めるもの、定住を求めるものにとっては日本語学習と取得は義務であり、それは「開かれた同化社会」日本国の原則であることを明示し、新たな多民族共生社会への扉を開こうではないか。

最後に、戦後民族派思想家の雄、葦津珍彦氏の言葉を引用して、この小論を閉じようと思う。

「今日、外人移住を嫌がっている人、また消極的な人々は、風俗習慣、社会意識の異なる大量移民の流入によって、社会道徳のトラブルが多くなり、治安のわるくなるのをおそれるからのようです。しかしそれは米国でも英国、ドイツ、フランスでもが経験しつつ、その克服に苦心していることです。(中略)苦労しても、その克服をするのは先進諸国の人道的義務です。」 
「私が、ここで力説したいのは、日本国が明治以来、世界に先駆けて主張してきた人種平等、移民の自由という公正な国際原則主張の歴史を銘記すべきで、その誇りある歴史に反して、多少の利害やショーヴィズムに流されて、八紘一宇、世界大同の理想に反してはならないということです。」(葦津珍彦著「天皇」神社新報ブックス、原文旧かな)


脱北帰国者受け入れ問題で様々な困難に直面した時、私は常にこの言葉を思い起こすことにしている。

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